2021.12.30
木曜日です。
◯自己紹介
20代のADHDの人間です。新卒で今年働き始めて、双極性障害になり、休職しています。
母は(おそらく)強迫性障害、父は理解のある彼くん。兄がいます。実家は終わっているので帰れません。
◯今年の振り返り
夏くらいから、だんだん精神の具合が悪くなっていました。
作れていたお昼のお弁当が作れなくなり、コンビニのパンになり。
毎朝、朝早くに目が覚めるようになり。
ドラッグストアで買い物をしている間じゅう、希死念慮に襲われつづけるようになり。
お酒とたばこの量が増えて、カフェインやブロンの錠剤をたくさん飲みました。
まだ病院には行きませんでした。
そのうちに、パニックの発作を家で起こすようになりました。床に蹲って、息ができなくなりながら、友人にLINEしました。
床で意識を失っていたところ、友人の呼んだ警察官が家に来ました。
「しんどかったら救急車呼んでくださいね」
大袈裟だなあと思いました。
でも、この一件で、病院に行く決心はつきました。
病院に行くと、ADHDとその二次障害である双極性障害であろう、と診断を下され、薬を服用することになりました。
薬を飲み、時間を問わず襲いくる猛烈な希死観念の波は、ほんの少しだけ落ち着きました。
しかしその1か月後、仕事場で過呼吸を起こして倒れ、休職することとなり、今に至ります。
先週お酒の飲み過ぎでゲロを吐いて救急車に乗りました。
反省しています!
ADHDの傾向があることは、小さい頃から自覚していました。
でもその頃は、自分に『自信』がありました。無根拠な自信。
同じ病気の人がそれを持っているのを見るたびに、同族嫌悪と羨望におそわれます。
どうかなくさないでほしい、わたしと同じにならないでほしい、生きやすくあってほしいと祈っています。
◯努力と自傷について
私には出来ないことがたくさんありますが、今年、何度もそれを無理矢理乗り越えてきました。
『頑張れば出来るんだ』と自分に言い聞かせていました。
身体を壊してから、布団の中で、いろいろ考えました。
自分の能力を超えた事象を、自分の苦しみや痛みを無視してやり遂げることは「できること」とは言わないのかもしれない。
痛みを、患部を、負った傷を無視して進むことは、「努力」ではなく「自傷」なのかもしれない。
痛い時には痛いと叫び、苦しむ自分をいたわり、傷を見つめ、認めてもよいのかもしれない。
自分の精神の体力は、自分の中の、雁字搦めに絡まった糸をやさしくほどくための努力に割くべきなのではないか。
痛みを無視して、絡まった糸を引きちぎってしまうことに割くべきではないのではないか。
自分では大したことないと思っている傷も、きちんと手当てしてあげよう、と思います。
これからのことはまったくわかりませんが、これからは。
来年もです。