こんにちは、生存

ADHD/双極性障害の人間の不定期日記です。🐤ひよこよりうさぎ派です。

2023.5.5

金曜日

 

こどもの日、柏餅を食べたのは昨日。

 

友人に会いに行った。元気そうでよかった。

 

金子監督の『ぬいぐるみとしゃべるひとはやさしい』を観に行った。

ずっと広島に来ないかな〜と思っていたから、嬉しい。舞台挨拶付きなので流石に緊張して、観るかどうか迷ったが、勇気を出して観た。

サインを貰えたし、監督と話せて良かった。

きっかけとしては、高島鈴の本やツイート、ブログで名前を見かけたのと、ポスターまわりのデザインが大島依提亜だったからだったが、観て良かったと思う。(敬称略、統一に迷うから)

 

以下感想

 

・ぬいぐるみと名前が付く映画だったが、傷つきやすい人間が中心の話だった。でもぬいぐるみが一杯出てきてうれしかった。600体いるらしい。

・主人公の七森がAセクで、そのことで失敗して学ぶ(と私は受け取った)展開は見ていてハラハラしたが、好きって分からないけど恋人作りたい!やってみよう!は、大学1回生だし、そうだよな、そうなるよな……と思った。やらないと分からないことはある。

・見ている側としては、白城の挙動にずっとそわそわしていた。白城はぬいサーという人間関係不得手サークルと、パンピのサークルを掛け持ちしていた。役割を求められる場所で活躍して自分の精神的強度を保ちながらも、求められる役割(ないわけではないけど)の薄い避難場所を持っているという見方が多いのだろうが、意地悪な見方をすると、マイノリティのサークルに属しながらもマジョリティに溶け込める自分に自尊心を持っている(自己陶酔している)ようにも感じられた。映画のつくりがそうと言うわけではなくて、見ている自分にそういう部分があるな……とモヤモヤした。(実際、白城みたいに人間関係の顔を使い分けられる人で、そういう風に振る舞う人は多いんじゃないかと思うし、悪いことではないんだろうが)

・上の話とも関係するが、こういう……社会でうまくやれない人間にフォーカスし、彼らをエンパワメントするような映画を観る人には、映画を観られるだけの特権・余裕があると私は思っている。観る時いつも、物語を楽しむ余裕がないくらい追い詰められているであろう、同じ属性の人のことを考えて、特権を持っている自分や制作者に対する罪悪感・忌避感を感じてしまう。監督の出身校ということもあり、立命館大学が舞台になっていたのも、人間関係構築が得意でないという悩みは、ある程度の学歴(いい使い方じゃない言葉)がある高IQの、能力に凸凹がある人間故の贅沢な悩みだろ、とか……

・露悪的なものに触れていないと不安、という気持ちが常にあって、こういうやさしい展開の創作物を観ると、自分の中の建前と本音でグルグルしてしまう。映画の中に出てくる、それこそ七森のような、自分の世界観を持って行動し発言する人間を見ているとムズムズするし、清濁併せ呑めよと白城の気持ちにならざるを得ない。自分が戦争映画が好きなのは、やさしい創作物を見続けることで生じた自分の中のノイズを打ち消すためなのかもしれないな〜と思ったりもした。

・田舎で観るには苦しい映画かもしれない。感性の近い友人以外に勧めるのは難しいなと思った。

・最近友人を傷つけるような言動をしてしまっている自分を自覚して、落ち込んでいる。他人を自分の思考の反響板にしたり、自分の話したいことばかり話してしまう自分の加害性をしみじみ感じた。

 

f:id:yoshi_nashi:20230505193617j:image

↑ぬい天とぬいしゃべのパンフ、夢のコラボ

 

監督にチーヨを見せてしまった。自意識。私はぬいぐるみに喋りかけることはないが、チーヨは大事にしている。そろそろ洗った方がいい。

 

パンフのことが完全に頭から抜けていて、サインを貰うにはパンフが要るので購入したところ、手に取って観た瞬間、うわー大島依提亜のパンフレットだ!と嬉しくなってしまった。

他の制作物はミッドサマーのパンフくらいしか持っていないのだが、安価かつ大量生産なのに、凝ったデザインの印刷物を出してくれるのって、本当に嬉しい。

 

観た場所ではラストエンペラーがやっていて、戦メリも再上映するらしいので、また来たい。でも、一般の料金は私には高い……。

 

帰りにドンキに寄って、この頃の悩みを解消するためのものを買った。ちょっと日記には書けない。

 

・一番好きだった登場人物

藤尾(本当にかわいい、ぬいぐるみにマフラーを巻いているところが)

・精神の具合

概ねいいと思う